雑学的文章構成力

をボーっとする頭で読んでみて。

をボーっとする頭で比べてみる。


で、どっちをとるかといえば、明らかに南堂久史側。この二つの文に関係があること以上の意味もよくわからないけどさ。でもどっちがよくできてるかははっきりいえる。というか比べ物にすらなってないように思う。主題に対するスタンスですでに大差がついてる。とりわけ、わからん系用語の使い方は決定的に差がある。

重要なのは、どっちみちこういうものは、読んでも結局はよくわからんね、な状態だということ。つまりは雑学を得る感覚なんですな。その前提で文章を書けているかどうかってこと。あと、主題そのものに対しての知識、ほんとうの意味での関心はないし、身につけようともしないということを理解してるかどどうか。そもそも雑学に対する関心ってのは、その対象そのものに関心を持つことではなく、データベースのデータを増やし、状況から引き出せることに意義があるわけで。

「わからせたい」のであれば素材に対して、論理としての整合性を書くんじゃなくて、アニメやドラマでの相関図的説明にするのがいいんじゃないか、と思ったりもした。